ピアノソロ
重さを預かる人
What She Carries Across
この曲について
崩れかけた橋を一人で支えた女性と、彼女の部屋へ通う高校生の物語をもとにした、ニ長調のピアノ曲です。主題は、ふうっと息を吐くように F#・E・D と付点のリズムで降り、add9 や maj7 の柔らかい和音に包まれます。ロ短調の中間部では、1小節ずつ半音で降りるバスの上で、旋律が中音域から D6 まで上がっていきます。演奏では、ペダルで左手の分散和音を長く響かせ、その上で右手の旋律をたっぷり歌わせるのが勘どころです。コーダはレントでウナ・コルダになり、高音の B と A が遠いサイレンのように小さく鳴ってから、D の響きに消えていきます。
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橋が落ちかけたのは、火曜の朝七時十二分だった。
川向こうの高校へ通う私は、そのバスに乗っていた。ぎしりと床が傾き、窓の外で鉄の柱がゆっくりと折れていくのが見えた。誰かが叫び、誰かが祈った。私はただ吊り革を握りしめていた。
そのとき、傾きが止まった。
バスだけではない。橋全体が、まるで誰かに下から支えられたように、空中で静止していた。運転手がおそるおそるドアを開け、私たちは一人ずつ、ふわふわと軽くなった橋の上を歩いて岸へ戻った。足元のアスファルトは、踏むと綿のように沈んだ。
岸辺の土手に、女の人が一人しゃがみこんでいた。灰色の作業着を着て、髪を後ろで一つに結んでいる。顔は真っ青で、額から汗がしたたっていた。両手を地面につき、まるで背中に山を乗せているみたいに、肩を震わせていた。
「大丈夫ですか」
声をかけると、彼女は顔を上げずに言った。
「大丈夫。全員渡った?」
「たぶん」
「たぶんじゃ困る。数えて」
私は振り返って、岸に集まった人たちを数えた。バスの乗客と、乗用車の人たちと、自転車の中学生。最後に運転手が土手を上がってくるのを見届けて、「全員です」と言った。
彼女はふうっと長い息を吐いた。次の瞬間、背後で轟音がして、橋は川へ崩れ落ちた。水柱が上がり、しぶきが私たちの頭上に降った。
ニュースは彼女を「重さを預かる人」と呼んだ。物の重さを自分の体に移し、しばらく引き受けておける。それが彼女の力だった。橋一本分の重さを、彼女は十一分間、たった一人で背負っていたのだ。
一週間後、私は市営住宅の四階を訪ねた。ニュースの映像に映っていた作業着の名札から、名前を調べるのは簡単だった。宮内さん、と書いてあった。
ドアを開けた宮内さんは、杖をついていた。
「ああ、数えてくれた子」
「お礼を言いに来ました。それと、エレベーターが故障してるって、管理人さんに聞いたから」
私はスーパーの袋を二つ持ち上げてみせた。宮内さんは少し驚いた顔をして、それから笑った。
部屋は狭くて、きれいに片づいていた。宮内さんはゆっくりと椅子に腰を下ろし、そのとき膝がみしりと鳴った。
「預かった重さは、すぐには返せないの」と彼女は言った。「少しずつ、地面に流していく。橋くらいだと、ひと月はかかるかな。そのあいだ、私の体はとても重い。階段なんて、一段のぼるのに一分かかる」
「じゃあ、買い物とか」
「だから助かった」
私は冷蔵庫に牛乳と卵をしまいながら、聞いてみた。
「どうして、ヒーローの団体に入らないんですか。テレビに出てる人たちみたいに。そうしたら、手伝ってくれる人がいるのに」
宮内さんは窓の外を見た。向こうに、仮設の橋の工事現場が見えた。
「一度入ったことがある。でもね、あそこでは、助けた人の数を数えるの。今月は何人、去年より何人増えた、って。それが嫌になって」
「数えるのは、大事じゃないですか。私にも数えろって言いましたよね」
「あれは、取りこぼしがないか確かめるため。誰も置いていかないため。でもあそこの数え方は、自分がどれだけすごいかを確かめるためだった」
彼女は湯呑みを両手で包んだ。指の関節が少し腫れていた。
「私の力はね、誰かの重さを代わりに持つこと。それだけ。持ったら、持ったぶんだけ私は動けなくなる。すごくなんかない。ただ、その間に誰かが向こう岸へ渡れればいい」
私はしばらく黙って、それから言った。
「じゃあ、宮内さんが重いあいだは、誰が宮内さんの重さを持つんですか」
宮内さんは目を丸くした。そんなことを聞かれたのは初めてだ、という顔だった。
「……考えたことなかった」
「私、来週も来ます。エレベーター、まだ直らないらしいので」
それから私は、学校の帰りに週三回、宮内さんの部屋へ通った。買い物袋を運び、ゴミを出し、ときどき一緒に夕飯を食べた。
ある晩、宮内さんは初めて力を使った日のことを話してくれた。七歳の夏、弟が川で溺れかけた。手を伸ばしても届かなくて、ただ「軽くなれ」と願った。弟は水面にぽかりと浮き上がり、かわりに自分が岸で一歩も動けなくなった。
「あのとき母が、私をおぶって家まで帰ってくれたの。弟と同じくらい重かったはずなのにね」
そう言って、宮内さんは少しだけ泣いた。
宮内さんの杖は、三週目には要らなくなった。
ひと月が過ぎた日、宮内さんは自分の足で階段を下りて、団地の前まで見送りに来てくれた。
「すっかり軽くなった」と彼女は言った。「ありがとう。あなたが半分、持ってくれたから」
「私、何も持ってないですよ。牛乳と卵くらいで」
「それが重かったの。ああいうのが、いちばん」
宮内さんは笑って、空を見上げた。遠くでサイレンが鳴っていた。彼女は少し首をかしげ、耳を澄ますようにして、それから私を見た。
「行ってくる」
「数えるの、手伝いますか」
「お願い。全員渡ったか、ちゃんと見ていて」
彼女は走り出した。作業着の背中が、夕暮れの通りを遠ざかっていく。私はその後ろを追いかけた。重さを持つ人がいるなら、その人が置いていかれないように数える人もいる。今の私には、それがわかっていた。
楽譜の詳細
- 演奏形態
- ピアノソロ
- 楽器
- ピアノ
- ジャンル
- アンビエント・ニューエイジ / ピアノのニューエイジ
- 難易度
- 中級
- 演奏時間
- 約3分22秒
- ページ数
- 3ページ
- 整理番号
- AP-B8W9V




